西湖
深淵なる「西湖」の湖底は
富士山の太古の歴史につながっていた。
精進湖から六つめの巡礼地「西湖」へ。国道139号にあたる一面の樹海の森のなかの道をゆく。溶岩流の上に1200年の時をかけて育った森が延々と続く、日本一の富士山らしいダイナミックなドライブコースだ。
春にはミツバツツジのピンク色、初夏は溶岩をおおう苔の緑が、秋にはカエデやナラの赤黄色が、蒼い海のような森をあざやかに彩るのも見える。
西湖は精進湖と同じ、貞観の噴火(864年)により巨大な「せのうみ」が大量の溶岩の流れによって分断され生まれた。そして溶岩流の上には、やがて樹海と称される広大な森が育っていく。
湖の岸辺におりると、さらさらと澄みきったさざ波が足もとにまで押し寄せてきていた。 北西岸の「根場浜(ねんばはま)」は西湖と樹海越しの富士山を望める絶景地。 でもまず目を引きつけたのは、湖面にきらきらとした水紋の輝きと、その下に湖底まで透けて見える水の美しさだった。ちょうど正面にそびえる富士山から、樹海の森の下をつたい水があふれてきているように見える。生きもののように形を変える美しい水紋を見ていると、この水は富士山の一部、という実感がわいてきた。
ふだん富士五湖を観光地として見ている時は忘れがちだが、すそ野の五つの湖は、富士山の噴火によって山麓にできた堰止め湖で、湖水のほとんどは、富士山から湧き出しているものだという。
ある資料によると富士五湖にはそれぞれ龍神の名がついていた。西湖は別名「青木龍神」。西湖と青き森は切っても切れない仲にあり、そして山麓の湖は、古来から水の神とされてきた富士山の分身でもある。
富士五湖のなかで観光地化されなかった西湖だからこそ、龍神が棲む水の清らかなエネルギーが保たれてきたのだろう。西湖周辺には、そんな富士山と湖と森のつながりを目のあたりに感じられる原初の眺めが今も残っていた。
深く美しい西湖で再発見された
奇跡の魚「クニマス」が教えてくれたこと
この清らかな湖水の深みで、樹海の森に守られ、幻の魚は人知れず70年も生き長らえていた…。
数年前にこの西湖で起きた現代の奇跡の物語。それは今も太古の深淵な気配を残す、いかにも西湖らしい出来事だった。
この西湖から、70年前に絶滅したはずの「クニマス」が発見されたのは世界遺産登録の3年前の2010年のこと。かつてクニマスは世界中で秋田県の田沢湖のみに生息していた固有種。田沢湖といえば、日本一の水深をもつ湖で、日本のバイカル湖と称される透明度を誇っていた。クニマスは“1匹が米1升”の価値があったという。ところが1940年代、開発による水質の激変でクニマスは絶滅してしまう。
それが、なぜ西湖で見つかり、なぜ今まで見つからなかったか。発見までの経緯も含め、神秘に導かれるような偶然が折り重なっていた。田沢湖のクニマスが絶滅する以前の1935年、実は全国の幾つかの湖に田沢湖から人口孵化実験のための受精卵が送られていた。西湖でも孵化後放流され、その後何度かクニマスの存在を探索する機会があったものの、なぜか生息は確認できなかった。
西湖といえば「フジマリモ」の群生地として有名で、また大正初期に放流された「ヒメマス」釣りで人気の湖。そのなかに、地元の漁師の間で「クロマス」と呼ばれる“ヒメマスの黒い変種”が良く釣れることがあり、変種のクロマスは釣れてもリリースされることが多かったらしい。
今回の西湖でのクニマスの発見者となったのは、テレビタレントで東京東洋大学客員准教授でもある“さかなクン”だった。さかなクンは京都大学教授の中坊徹次氏からクニマスのイラスト執筆を頼まれ、参考のために近縁種のヒメマスを全国から取り寄せた。そして、西湖から送られたもののなかにクニマスらしき個体を見つける。それがきっかけで本格的調査が行われDNA検査で確認された。
さまざまな要因が重なり絶滅から免れてきたクニマスは、静かな西湖の湖底で人知れず繁殖を繰り返していたのだろう。そして、命がもつ個性の尊さに細やかな視線を注げる二人の研究者により再発見された。
なんとも富士山らしい物語ではないだろうか。すべての命は奇跡的に生かされているのだ。クニマスも、西湖の清らかな水も、富士山のもとでこれからも大切に守られていくのだろう。
湖底から見つかったもう一つの神秘の「丸木舟」
西湖に行ったら、もう一つ、ぜひこの目で見てみたいものがあった。クニマスはなかなか見ることはできないけど、湖底から見つかった「丸木舟」は見てみたい。丸木舟が気になった理由は、田沢湖のクニマス漁が、当時やはり丸木舟による刺し網で行われていたことを知ったからだ。
富士五湖では9艘の丸木舟が見つかっていて、西湖から引き上げられた4艘のうちの1艘を「西湖・野鳥の森公園」内の茅葺きの展示室で見ることができた。
それは想像以上に大きく、一瞬、一本の樹そのものにも見えた。モミ科の丸木をそのままくりぬいただけの原始的なつくりは、精巧なものよりむしろ感動的だった。
全長約10メートル、幅約0.8メートル。山梨県内で発見されたものでは最大級で、鎌倉時代後期のものらしい。こちらは何に使われていたか詳細はわかっていないということだが、西湖の湖面を悠々とわたる丸木舟を想像するだけで、途方もない歴史ロマンが胸に広がっていく。
文化遺産になった富士山、でも自然もやはり素晴らしい
富士山が作った森「青木ヶ原樹海」の散策コースを歩く。
富士山と山麓の原始の森と、そして湖…。「こんな自然は世界のどこを探しても他にない。富士山だけにしかない豊かさと雄大さ、奥深さがある」。
そう口をそろえるのは、地元で出逢った写真家やアウトドアマンなど自然の達人たちだった。
彼らは世界中の自然を見てきてなお、富士山周辺の自然は唯一無二だと語っていた。
そして、そんな余り知られていない富士山のすばらしさに触れられるおすすめポイントとして必ずすすめてくれたのが、「西湖野鳥の森公園」を中心にした樹海の森の散策コースだ。
それまでは、樹海のなかに日本屈指の自然を堪能できる遊歩道が整備されていることも知らなかった。なんと、東海自然歩道も通っている。
ルート上には「西湖コウモリ穴」や「竜宮洞穴」など見逃せない名所ポイントもあり、さらに足を伸ばせば有名な「氷穴・風穴」や「紅葉台」まで、樹海内のトレッキングをたっぷり堪能できる。
国道から、森の遊歩道に一歩足を踏み入れると、ふわっと樹々の匂いに包まれた。森のそこかしこから野鳥のさえずりが聴こえ、豊かな水場はカエル池にもなっている。時には鹿などの野生動物にも出くわすこともあるという。外から見るよりも樹海の森のなかは動植物のパラダイスだ。
貞観の噴火(864年) のあと、溶岩台地に形成された青木ヶ原樹海の約1200年という歴史は、森の年齢としてはまだ若いという。森の精霊のような姿をした樹海の樹々は、溶岩の上にやっと堆積したわずか10㎝足らずの土に必死で根を伸ばしているのだ。
まだ早いペースで世代交替をしている森床には、苔や地衣類があざやかな緑の絨毯を敷き詰めている。
そのため、樹海は独特の景観と生命力に満ちていた。富士山の裾野では、生まれたての森の原初の姿を見ることができる。
富士山は水の神だった。湖には龍神が棲んでいた。
古代の信仰をたどることのできる「竜宮洞穴」
西湖畔の青木ケ原樹海内にひっそりと、大きな口をあけている「竜宮洞穴」は、樹海に無数に点在する溶岩洞穴のなかでも、印象的な存在感を放っている。
富士講の信仰の対象として構成資産になった船津胎内樹型や吉田胎内樹型とは、また別の富士山にまつわる古い信仰の歴史が、洞穴の奥底には息づいている。
洞穴内部は今は崩れやすく入洞することはできないが、入口までは下りることができ、そこに小さな祠がある。この祠は、れっきとした神社庁登録の神社で「剗海(セノウミ)神社」という名前がついていた。セノウミといえば、貞観の噴火の前に西湖、精進湖、本栖湖をつなげていた巨大な古代の湖。
富士山の神様として浅間大神やコノハナサクヤヒメが祀られるようになったのは、噴火の後のこと。 だとすれば、この洞穴の由緒は富士山が火の神であり、水の神であったころにさかのぼるものなのだろうか。
干ばつの際にはここで雨乞いがされ、 富士講の時代には八海巡りの霊場として栄えた。 御祭神は、水の神である「豊玉姫命」となっているが、竜が棲むという伝説もあり、毎年8月2日には今も竜宮神社の祭典が行われているという。神秘的な洞穴の雰囲気そのままに、いくつもの歴史と信仰の跡が堆積しているのかもしれない。
西湖野鳥の森公園 富士河口湖町生涯学習課 |