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富士山巡礼の旅

精進湖


精進湖

精進湖-他手合浜からの逆さ富士
精進湖 他手合浜からの逆さ富士

富士五湖で一番小さい湖「精進湖」と、大きな歴史

くねくねと長い精進湖線(国道358号線)を車で登ってきて、いつも最後のカーブの手前で胸がときめく。今日は、見えるかな、見えますように、富士山…。
見えた!富士山。精進湖と、その向こうに、大室山を抱っこした「子抱き富士」。いつも、はじめて出逢えたように嬉しくなる。その日の最初に出逢う富士山として、この小さな湖ごしの眺めほど、ふさわしいものはないとひそかに思う。
ひっそりとしながら、居ずまいを正して、いつも洗いたてのように凛とした富士山と精進湖。
太古から気の遠くなるような時間をかけて作られてきた景色のなかで、ボートの釣り人がのんびり、濃く蒼い湖水に糸をたらしていた。

精進湖はヘラブナ釣りが有名
精進湖はヘラブナ釣りが有名

すそ野の巨大な“うみ”が精進湖のはじまり

起源までたどれば、十万年、二十万年とも言われる歴史のなかで、富士山は幾度となく大小の噴火をくりかえして、今の優美な姿と、とりまく大自然景観を形成してきたという。
今から千年以上前には、富士山の北側のすそ野に「剗の海(せのうみ)」と呼ばれる大きな一つの湖が広り、五千年前には、さらに巨大な「古剗の海(こせのうみ)」があった。なんとも壮大な富士山の記憶だ。
まず「古剗の海」から「本栖湖」が溶岩の流入により分かれたと考えられている。そして千年昔の平安時代、864年(貞観6年)には、歴史に残る貞観大噴火が起きる。噴出
した大量の溶岩流は「せのうみ」にも流れこみ、そのほとんどを埋め、現在の「精進湖」と「西湖」に分かれたといわれる。
その一つの検証として、三つの湖は、ほぼおなじ標高にあり、今も水位が連動していて、地下でつながっていると推測されている。
このあたりに大量の雨が降り三湖の水位が上昇すると、精進湖近くに幻の湖が出現する。俗に富士六湖と呼ばれる「赤池」で、この現象も湖の地下が一つに通じてること
を証明するものとみられている。その湖たちは、富士山の生い立ちのスケールを物語る存在であり、富士山とは、いわばひとつの命。
そのため精進湖は、西湖、本栖湖とともに、「富士山域」という構成資産の一部として世界遺産に登録された。残る山中湖、河口湖も個別に構成資産となった。

 

湖の底の水神さまに逢う「内八海巡り」という富士山のもう一つの修行道

みな同じ富士山につながる存在であっても、五湖の個性はまったくそれぞれ。
精進湖は、一番小さく、三番目に深く、プランクトンなどを豊富に含んだ栄養湖という特徴をもっている。
精進湖という名前の由来は、むかし、富士山を信仰する参詣者が、まず裾野の湖で沐浴し、“精進潔斎”をしたからという説が有力とされている。
それでいえば、五湖すべてが、“精進”のための聖なる水場だったのだ。
実は、「富士五湖」という呼称が定着したのは最近のことで、大正時代末期までは「富士八海」と呼ぶのが一般的だったという。現在の五湖に、「四尾連湖」「泉水」「 明見湖」などを加えて、縁起もよい八海としてくくられていた。
太古のむかし、富士山は火の神であり、豊富に命の水を抱く水の神さまでもあって、この八つの湖にも、それぞれ龍神の名前もついていたらしい。
信仰の面からも、裾野の湖は、富士山と同様に重要な存在だったといえる。
そこで、山頂への登拝修行だけでなく、「内八海巡り」という、特別な修行が生まれた。最初は、富士山に登拝する前の汚れをはらう禊ぎが目的だったのが、富士山の水神である八つの湖をすべて巡ること自体が、富士山の信仰、とされるようになったという。

与謝野晶子碑
与謝野晶子碑
碑精進諏訪神社にある精進の大杉
精進諏訪神社にある精進の大杉

世界がたたえた日本一の風景「ジャパン・ショージ」と古の道「中道往還」

湖北西の景勝地「他手合浜」に、昭和7年に精進湖に一泊した時の与謝野晶子さんが詠んだ句碑が立っている。
『秋の雨 精進の船の 上を打ち 富士ほのぼのと 浮かぶ空かな』。
やっぱり秋で、良かった。
精進湖には、しっとりした時のほうが良く似合う。雨あがり、霧けぶる早朝、暮れなずむ夕刻、うつろいの晩秋…。少し陰影のある光のなかのほうが、「東洋のスイス」と讃えられた美しさがをより際だつように思う。
富士山方面に開けている以外は、三方は山や峠が迫っている。広がりより、奥深さ。 五湖のなかでいちばん日本的抒情を感じられた。
明治時代に、富士山麓を一年がかりで巡った英国人のハリー・スチュワート・ホイット・ウォーズさんは、この場所からの富士山こそ最も美しい眺めと決め、「東洋のスイス」と表現した。その意味は、スイスに似ている、ということよりは、“東洋らしさを代表する山の風景”ということではなかったろうか。
ホイット・ウォーズさんは世界一美しい「ジャパン•ショージ」を世界に広めるため、精進湖畔に富士山麓で最初のホテル「精進ホテル」を建設。日本のショージは世界中から観光客を集めた。
そんな精進湖のイメージをより印象づけているのが、湖畔北側の山間に伸びる古道「中道往還」と、周辺の「精進集落」の佇まいのせいかもしれなかった。
そこだけ、まるで時が止まったようで、石畳を転がっていく落ち葉の音まで聞こえそうだった。
といっても、むかし、往還の宿場町としてにぎわった集落のほとんどは、昭和四十年代の台風対策がもとで、青木ヶ原樹海の中に埋め立てた開拓地に移住。
この場所には、残ったお宮さんとお寺を中心に、わずかな家々だけが当時の面影をそのまま今に伝える存在になっている。

旧中道往還
旧中道往還
精進諏訪神社
精進諏訪神社
龍泉寺
龍泉寺
龍泉寺に残るハリー・ウイリアム・ホイットウォーズさんのお墓
龍泉寺に残る
ハリー・スチュワート・ホイット・ウォーズさんのお墓

絶景が待つ三方分山からパノラマ台へ

『精進湖畔から伸びる古道「中道往還」の先は峠道になる。中道往還は、かつては甲斐の国(山梨)と、駿河の国(静岡)を結んだ街道で、富士山麓にあたるこのあたりは、厳しい峠道が続く難所であったことだろう。
今は、精進湖畔で人気の展望地「パノラマ台」へと向かうための回廊だ。
三方分山までは、「女坂峠」の九十九折り。
でもここは、ひとふんばり。歩いて旅した時代にの想いをはせつつ…。
『精進湖と霊峰富士の山麓の風景を見るだけでも、遠く日本へ旅行する値打ちはあるだろう』ホイットウォーズさんとおなじく、明治期に訪れた、英国の写真家のボンディング氏が太鼓判を押した、その絶景が待っている。
三方分山からパノラマ台に向かう尾根道からの眺めは、想像を超えていた。
眼下に精進湖、そして「子抱き富士」が海原のごとき樹海へと雄大に裾野を広げている。さすが、ジャパン・ショージ。

阿難坂(女坂)に残る石仏群
阿難坂(女坂)に残る石仏群
三方分山
三方分山
精進湖と富士山
精進湖と富士山
精進湖イラスト
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精進湖
山梨県富士河口湖町
お問い合せ:富士河口湖町観光課 TEL:0555-72-3168駐車場:県営他手合浜駐車場(大型有)
http://www.fujisan.ne.jp/
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