楽しさ満載の富士山・富士五湖エリアみんなで一緒に思いっきり遊ぼう!

富士山朝圣

翁志居住 (原户房子侧)


翁志居住 (原户房子侧)

外川家住宅の門構え富士講全盛の当時と変わらない外川家住宅の門構え

大きな富士山の入り口に立つ富士山駅金鳥居から御師の町

標高809mの富士山の麓にある「富士山駅」は世界中からお客さまが押し寄せた夏シーズンを過ぎてちょっとひと息といった風情でも実はこれからが世界文化遺産になった富士山を構成資産を含めてぜんぶじっくり巡るのにおすすめの季節初秋の澄みきった空気のなかをいざ出発
駅の周辺は改名される前の駅名の町富士吉田の町が広がっている観光地化されていない素のままの町のそこかしこに裾野の文化が息づいていた
大きな富士山がいつも目の前にある町には高層ビルなども少なくおんなじ高さで仲良く重なりあう瓦屋根越しや庶民的な商店が並ぶ路地越しに驚くほど大きな富士山がどこからでも見えたこの吉田の町らしい印象的な景観がいっぺんに好きになる
駅から北に下るとぶらり散策が楽しい昭和レトロの町「下吉田地区」
一方南へ富士山を目指して「上吉田地区」の方に歩いてすぐに町のほぼどまん中巨大な「金鳥居(かなどりい)」がそびえ立っている
その先には約四百三十年前富士山という神様をお守りするため作られた「御師の町」がそびえる富士山に向かってまっすぐ伸びていた
この御師の町並みはその昔に神様の聖地という役割に準じ各家々の並びを整然と“敷き割り”してできたもの「北口本宮冨士浅間神社」を中心にして当時のままの配置が今もそのまま残っているという

金鳥居にも冨士山金鳥居にも冨士山

御師の町の入口にあたる金鳥居は“一ノ鳥居”とも呼ばれここから先「北口本宮冨士浅間神社」の大鳥居から山頂まである幾つもの鳥居のうち一番最初の鳥居にあたる
富士山が世界文化遺産になるまでは多くの人が富士山の入口は富士スバルラインの五合目と思っていたかもしれないけれど富士山の裾野はもっとはるかに大きく入口とするならこの金鳥居こそふさわしく思える
また金鳥居は江戸時代の巡礼者「富士講」の人々が江戸から富士山を目指して遠路はるばる辿った「富士道」の終着点俗世界と信仰世界の間に立つもの
いよいよここより富士山信仰の奥深い世界の入口だ

身を清めたヤーナ川も富士山の水
身を清めたヤーナ川も富士山の水
玄関である式台。奥が深い
玄関である式台奥が深い

どこか懐かしい御師の家はわたしたちの歴史につながっていた…

表通りから奥まった屋敷までは「タツミチ」と呼ぶ細長い引きこみ道が通じていたこれは御師町が成立した当初の古い“本御師”の家の特徴だというこれに対し表通りに面した“町御師”もあるさらに中門をくぐると「ヤーナ川(間の川)」という禊ぎのための小川が今も音をたて流れている
懐かしい歴史ある神社などにも似た豊饒な空気が「御師の家」には満ちていた心の奥底がふとゆるみ自分という一本の木が大地に深く根を張りなおしていく気がした
広く開け放たれた表玄関から立派なご神木が根を張る奥庭までやわらかな秋風がのびのびと通りぬけていく
最盛期には御師町の両側八十六軒連なったという御師住宅のなかでこの「旧外川家住宅」は二百四十年という歴史を今まで長えられてきたこのご神木が屋敷の命を守ったといういかにも富士山の神様に仕えてきた家らしい不思議な逸話まで後継人の原寅夫さんは大切そうにお話してくださった
『二百四十年もの間壊さず直さず残してあったというのはぼく自身も不思議に思うんですね寒いですし家族も増えていく二世帯三世帯と住む時代にそれをガマンして守り抜いてきた当時は世界遺産がどうのこうのということもなかったそれでも残そうとしたというのは信仰者さんへの責任とか歴史を汚しちゃいけないとか富士山の神様への忠誠心とかそれだけ想いが強かったということでしょうね
そういうご先祖さまの想いをご神木が無言で伝えていたのかもしれません』

宿坊時代の品々01 宿坊時代の品々02
宿坊時代の品々03 宿坊時代の品々04
旧外川家住宅には御師の宿坊時代の品々がそのまま残されている

御師の家は個人の住宅でありながら夏の登拝シーズンは富士講の信仰者を迎え入れ宿坊としてまた祈祷などの信仰の案内までも請けおっていた
御師とはそもそも祈祷師のことで家々の主が今でいう神官の役割を果たしながら富士山をお守りする聖域の町を担っていたのだ

『富士山に信仰のために登山する人々にみずからの住宅を宿坊として提供しお祈りもして富士山信仰の布教もするそれが“富士吉田御師”ですね
江戸や千葉など関東一円からやってくる富士講の信仰者さんたちはわざわざ北口の浅間神社に行って拝まなくてもここに泊まりながら必要な祈りは全て果たせ翌日そのまま富士山に行けた御師の家にはそういうメリットもあったわけです』

そんな御師の家の最たる特徴は家のなかに必ず一間富士山の浅間神社を祀る「御神前の間」があるつまり家のなかに一つの神社があり富士山の神様「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)」と夫神様の「彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)」さらに父神様の「大山祗神(おおやまつみ)」が祀られている
さらに外川家の場合神様の隣に富士講の行者「食行身禄(じきぎょうみろく)」さんの像が並んでいた身禄さんといえばもとは一般庶民の出でありながら富士山で修行を積みついに即身仏となって富士講の中興の祖として人々に敬われた
神様の横に富士講の行者さん…それはいかにも富士山信仰を庶民に広める大潮流の源となった“富士吉田御師”の家らしい姿に思えた

食行弥勒像
食行弥勒像
富士講の人々が召した白装束
富士講の人々が召した白装束
今も見守っている御神木
今も見守っている御神木
後継人•協力員の原寅夫さん
後継人•協力員の原寅夫さん

『富士吉田御師に伝わる富士山の信仰基本というのはこの身禄さんが言ったことそのものなんですね世直しと平等仕事など日々を大事に営むこと正直に真面目に一生懸命にそれが幸せになることだそういう誰にもわかりやすい身近な祈りであったことが逆に多くの人々の救いになったということなんでしょうね』

『富士講の信者はみな白い“行衣”を着てますこれが富士山への旅支度ですね旅支度というのは天国へ行ってくるということですいろいろ苦難の道があるだろうけどそれを乗り越えて神様のいる極楽浄土へ行って仏になってくる富士山に登るってことはそれだけの覚悟のことだったわけです』

富士山の世界遺産の審議中ユネスコから派遣されたイコモスの担当者が訪れた際この御神前の間で実際に当時の身禄さんたちがしたようにご祈祷お焚き上げをしてさしあげたそうだそして富士山は旧外川家住宅を構成資産の一つとする世界文化遺産になった

『貴重な文化を受け継ぎ受け継ぎしてきたのが富士山だということが伝わったんですねみなさんにもぜひ昔のことを思い浮かべていただいてそこにどんなご先祖さまたちの心があったのかどんな想いで富士山に登ったのか…そうゆうことを思いながら昔のように吉田口登山道を麓から登ってみて欲しいです道が世界遺産なんですからすごいことですよね
代々の歴史があって今の自分があるということただ登って満足ってことでなく富士山を愛して守っていこうという心がけも生まれます富士山は日本人の精神のもとそう思います』

御師住宅(旧外川家住宅)イラスト
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御師 旧外川家住宅
住 所山梨県富士吉田市上吉田3-14-8 TEL:0555-22-1101
観 覧 料大人100円(80円)小中高生50円(40円) ※()内は20名以上の団体料金
※博物館チケットで観覧できます(当日限り有効)
※博物館を利用の際は外川家チケットを受付に提示ください差額分で博物館をご利用いただけます
休館日平成25(2013)年12月28日(土)まで全日開館します
開館時間午前9:30~午後5:00(入館は4:30迄)
駐車場大型有り
http://www.fy-museum.jp/

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