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富士山巡礼の旅

三ッ峠と富士道


三ッ峠と富士道

三ツ峠より冠雪の富士山を遠方に望む
三ツ峠より冠雪の富士山を遠方に望む

北斎の赤富士を片手に
標高1,786mの「三ッ峠」の頂を目指す

葛飾北斎が描いた富士山「富嶽三十六景」の代表作の『凱風快晴』
白雲たなびく青空に画面いっぱい聳えたつ赤富士がすこし右寄りに描かれ向かって左側の裾野を大きく広げている北斎の富士といえばまず思いだされるほど象徴的な作品だ
ただこの画には他に目印となる背景がないためどこから描かれたか公的には不明とされているでも俗説的にはこの赤富士は「三ッ峠」からの富士では?とも言われている
その真実をこの眼で確認するために三ッ峠に登ってみようという人もきっと多いはず

三ッ峠は富士山周辺の山のなかでもその愛され度は特別という印象があるしかも三ッ峠の人気の理由は一つではないなんといっても山頂からの富士山の眺望が抜群で富士山写真の第一人者である岡田紅陽さんも足しげく通った撮影地だった
「富士山は遠ければ遠いほど高ければ高いほど秀麗に見える」と語っていた紅陽さんにとって標高1,786mの三ッ峠の山頂はその秀麗さを撮るのにベストポイントだったのだろうと思う
また太宰治は小説「富嶽百景」のなかで御坂峠からの富士山の眺めをまるで“風呂屋のペンキ画”のように良く出来過ぎていると言っておきながらその後すぐに井伏鱒二に誘われ一緒に三ッ峠に登るがあいにくの霧で富士山は見えず山小屋にあった三ッ峠からの富士山の写真に感動しているそれらの逸話を知るにつけ三ッ峠は富士山のことを一番よく知っている山なのではという感じがするというわけで富士山世界遺産の構成資産ではないけれど今回の富士山巡礼の旅には外せないと思った

三ッ峠より朝焼けの富士山
三ッ峠より朝焼けの富士山

登山口に選んだのは
富士山で一番うまい水が湧く「西桂町」

かつて「神鈴峰」とも呼ばれていた「三ッ峠」は河口湖をはさんで富士山と真正面に向かいあっている
「三つ峠」駅のある西桂町は富士山の伏流水のなかでも一番おいしい層からの水が湧きだしている土地として知られているかつてはその豊かな水で「群内織(甲斐絹かいき)」の一大産地として栄えた西桂の町には「カワ」と呼ばれる用水路が町中に引きこまれ清らかな水音とカシャンカシャンという機音が響きわたっていた
現在用水路の多くはフタがされそれでも耳をすますと足もとを流れるいかにも澄んだ水音が聴こえてくるのだ少し町中を散策してみると家々の間をぬって今もサラサラと流れる細いカワも見つけられたきっとほんの少し前まで織物の産地というだけでなく西桂には日本屈指の美しい水の町の風景があったのではないだろうか?と想像できた

戦後の登山ブームのころには三つ峠駅には11時の最終列車を過ぎても深夜まで臨時列車が続々と到着しすべてが登山客で満員だったというシーズンには駅から山頂までの長い長い行列ができた最近でも第二次登山ブームなのか?登山シーズンになると華やかな山ガールや家族連れが三ッ峠山頂を目指すきっと富士山に登る前の前哨戦今も昔も変わらないと思う山頂へのルートは他に河口湖側からもあるが今回は巡礼ということで西桂側から登ることにこだわってみた時間的にも一番かかるルートであるけれどこちらがいろんな意味で“本道”だと思うからだった

 

富士急行線三つ峠駅
富士急行線三つ峠駅
三つ峠駅から三ッ峠を目指す
三つ峠駅から三ッ峠を目指す

三つ峠駅から下暮地の集落を抜けまず町営の「三ッ峠グリーンセンター」に出るこちらは食事や宿泊日帰り入浴もできて登山客にとってもなにかと有りがたいであろう施設そば打ちなど体験工房もあり登山をしなくても周辺の自然とあわせて十分楽しめる三ッ峠ゆかりの天然温泉を下山後の楽しみにすることも良い
さてここからは「柄杓流川」の気持ちのよいせせらぎを聴きつつ渓流沿いの「さくら公園」さらに森林浴が楽しめる「いこいの森」へと駅から約1時間30分ほど途中三つコブの山頂部が見晴らせると気持ちが思わず踊った駐車場もあるのでここまでは車で来ることもできる

アークが刻まれた達磨石
アークが刻まれた達磨石
八十八大師の側にある空胎上人の墓
八十八大師の側にある空胎上人の墓

噂にたがわぬ
日本一の富士山が待っていた

いよいよ森が深くなり本格的な登山道の雰囲気間もなくこれこそ“本道”の証の「達磨石」に出迎えられた
大きな自然石を刻んだもののようでたしかにダルマの形にも見え中央にアークという“梵字”が刻まれている梵字は大日如来を表現し未来の道を明るく開き福徳と長寿を授けてくれる標だという
三ッ峠は奈良時代から修験道の歴史があるとされ江戸時代の後期に「空胎上人」が入山し改めて神鈴峰信仰が広められその後四代にわたって深められてきた達磨石は空胎上人の後継者が建立したもので一つの山に対する信仰の想いが受け継がれてきた証だった
ここから登山道沿いに山頂まで信仰の遺跡が点在している幾つ見つけられるかぜひ自分で登って探してみてほしいけれど代表的なところでもう一つ山頂近くの「八十八大師」である
赤い前掛けをした表情もすべて異なるお地蔵さんがずらっと並んでいる地蔵さんの材となっている石は下から運んだものと見られそれだけでも信仰者のみなさんの想いの深さがうかがえるものだこの中から自分に似た顔のお地蔵さんを見つけるのも楽しいかもしれない

三ッ峠登山の中腹にある「八十八大師」01
三ッ峠登山の中腹にある「八十八大師」
三ッ峠登山の中腹にある「八十八大師」02

富士山の「吉田口登山道」でもそうだったけれどお山を神様として見ていた昔の登山では山頂を制覇することだけでなく “道のり”に意味を見いだしていたことがとっても良くわかる
だからこそいちばん麓から登ることにも意味があったのだろう

登山道のところどころから富士山の姿が見えはじめ目指す山頂はもう近い
切り立った巨大な岩壁があらわれた大迫力の「屏風岩」は神々しくも美しくも見えたかつて神様がよりつく神聖な磐座であったろう岩に果敢に挑むロッククライマーたちの声がひびいていた新しい時代の三ッ峠はロッククライミングの聖地としてもその名を大きく広めているのだ
麓から信仰の道を辿ってきた後では一瞬にして現代に引き戻されるような戸惑いもあったけれど時代が変わり向きあい方が多様に変化してもそこに山と人との変わらない絆があると思った

ロッククライマーたちで賑わう屏風岩
ロッククライマーたちで賑わう屏風岩
三ッ峠山頂
三ッ峠山頂

手元にある北斎の赤富士と比べてみるきっとそうだ噂はきっと正しい
山頂からは南アルプスから御坂山地八ヶ岳まで360℃の大パノラマが広がっているというのに目の前に浮かんでいるような圧倒的な存在感が三ッ峠からの富士山だった
地上の悩みごとなどすべて吹き飛ばしてくれそうな大きさである
空胎上人はやはりこの眺めのために三ッ峠への入山を決めたのだろうか出家する前の空胎上人はずいぶん苦労の多い人生だったと聞いたことがある

まさに凱風快晴!

快晴の富士山を望む
快晴の富士山を望む

かつては出逢いの道今は発見の道
富士山へつながる「富士道」を歩く

西桂町を古道「ふじ道」が通っているその名の通り富士山へ通じる道のこと
江戸の日本橋を起点とする「甲州街道」を大月から分岐して富士山の麓の吉田に至る道がこの「富士道」途中谷村往還小沼(現在の三つ峠駅)を経由する
昔はこの道をたくさんの人が歩いて富士山へ旅をしたそして街道の町や村はその宿場として賑わった
往復で約1週間はかかる巡礼の旅が当時の人たちにとってどうやら苦行というばかりでなく多分にバカンス的要素もあったようなのだ
巡礼者はお気に入りのお酒を仕込んだヒョウタンを脇に吊るし道中の風景や旅人同士の出逢いも存分に楽しんでいたらしい途中で偶然に言葉を交わした者同士が結局富士山までの道づれになったというような旅冥利につきるエピソードも多くあったという
そんな歩く旅ならではの貴重な体験がもしかしたら富士山への巡礼を余計に盛んにさせたのかもしれない

富士道から富士山を望む
富士道から富士山を望む
富士講の人たちを案内した道標が今も残る
富士講の人たちを案内した道標が今も残る

富士道の全行程でなくても西桂の三つ峠駅から富士道の終点となる上吉田の「金鳥居」を目指すコースならウォーキングにも程良い距離でおすすめ
町の道野辺の道を通ってちょうど富士急行線で4駅分道筋には「右 富士山」「左 あすみ」と刻まれた古い道標や可愛らしい石仏も見つけられ微笑ましくなる
「明見」は富士八湖のひとつ「明見湖」江戸時代には内八海として巡礼の聖地の一つでもあった今はみごとな蓮池で知られる名所だ葛飾北斎の「富嶽百景」にも「阿須見村の不二」という題名で茅葺き屋根の間から富士山がちょっと覗いている絵が描かれている
近づくごとに富士山は大きく見え富士道は今も歩く喜びと発見に満ちている何だか時空を超えてあの時代の富士講の人になった気がする

富士道ウォーキングで出会った石仏
富士道ウォーキングで出会った石仏

蓮の花の見頃を迎えた明見湖01

蓮の花の見頃を迎えた明見湖02
蓮の花の見頃を迎えた明見湖
三ッ峠イラスト
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西桂町産業振興課
住 所山梨県南都留郡西桂町小沼1501-1
TEL:0555-25-2121 E-Mail: sangyou@town.nishikatsura.lg.jp

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