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富士山巡礼の旅

船津胎内樹型


船津胎内樹型

船津胎内樹形内部
船津胎内樹形内部

母なる富士山の胎内に入り
“生まれ変わり”を体験して、富士山へ

毎年10月にはいる頃、富士山が初冠雪し、初々しい雪化粧の姿に変わりゆく季節の訪ずれを知ることができる。富士山の裾野の森は雨があがり、しっとりと空気が澄んでいた。
富士山にはいくつかの溶岩流の流れた跡があり、場所によって形成された自然の生態系も微妙に違っているらしい。ここは、およそ1000年前に八合目付近から流れ出た「剣丸尾溶岩流」の上にできた森。「溶岩樹型」という地質学上たいへん珍しい種類の溶岩洞穴が大小100個も集中している。世界でも富士山とハワイ島だけだという。そのひとつ、きわだって稀なる存在が「船津胎内樹型」と「吉田口胎内樹型」で、船津胎内のほうでは、今も「胎内巡り」を体験することができる。

船津胎内樹形の入口でもある無戸室浅間神社拝殿
船津胎内樹形の入口でもある無戸室浅間神社拝殿
神社内の胎内樹形の入口_サムネイル
神社内の胎内樹形の入口

船津胎内樹型の管理施設でもある「河口湖フィールドセンター」の敷地に入って、まず目をひくのは、大地にぽっかり空いた穴の入口を守るように設けられた小さな神社だった。初めて目にした時は、ちょっと異様な感じもしたけれど、拝殿に手をあわせると不思議なもので心がすっと落ち着く気がした。
「無戸室浅間」という名の神社で、340年ほど前の江戸時代に富士講の信者によってこの洞穴が発見されるとともに建てられたという。
富士信仰の史料として当時の巡礼日記などを読んでいると、そこにかならず、“まず胎内に寄って”、という一文がよく出てきていた。江戸時代の富士講の人たちは、富士山に登拝する前日にこの胎内で“生まれ変わり”を体験するのが決まりだったようだ。 その後、御師の家に泊まり神前で祈祷を受けたり、麓の湖や滝といった霊場で禊ぎをしたり、ふだん俗界にいる人間が、神なる富士山の山頂に行きつくには、さまざまな道のりを通らなければならなかったのだ。
こうやって構成資産を巡りはじめると、それら一つ一つがパズルのように組みあわさって、富士山という深淵な信仰宇宙がつくりあげられてきたことがありありと分かってくる。そしてだんだんと自分も本物の巡礼者になってきている気がした。

溶岩が流れ込んで内臓の様に見える
溶岩が流れ込んで内臓の様に見える
御胎内に祀られている木之花咲耶姫
御胎内に祀られている木之花咲耶姫

自然の神秘が生んだ信仰の源泉
それは火山「富士山」がつくりだした「胎内樹型」

それにしても、太古から女性の神さまと崇められてきた富士山のふもとに、偶然にも生命の起源である“母の胎内”があったという不思議。自然がつくりだす造形が時に特別な意味をもつかのような神秘を、この「船津胎内」はなにより物語っていた。
では、どうやってこの希有な自然の造形物ができたか。それは、溶岩が流れ出た際、樹木を取り込みながら固まり、その後に中の樹木が燃えつき朽ちて樹型の空洞が残ったという。これが「溶岩樹型」で、そのうち特に内部の形状が人間の内臓をくり抜いた胎内に似たものが「御胎内」と呼ばれ、信仰の対象となった。その代表的なものが、構成資産に指定されている「船津胎内樹型」と「吉田胎内樹型」で、このふたつは複数の樹型が重なりできている。また、吉田口登山道と今は無いかつての船津口登山道に近いこともあって、格別に重要視されたらしい。
信仰行為としての「胎内巡り」は、生まれ変わりだけでなく、安産祈願など、さまざまな意味をもって盛んに行われ、その様子を当時の絵図からもうかがうことができる。
ちなみに「吉田胎内樹型」のほうは、現在は内部は原則非公開。年に一度、富士山北口御師団により今も「胎内祭」が行われ、そのときだけ一般に公開されている。

母の胎内は奥に進むほど狭くなっている
母の胎内は奥に進むほど狭くなっている
父の胎内
父の胎内

母の胎内、ということで覚悟はしていたけれど、みごとなほど人の体内を彷彿とさせる洞穴内部は、奥に行くほど狭くなり、ついには胎児のごとく身を縮めなければ通れなくなる。総延長20mとは思えない長さが感じられ、これ以上はもう耐えらない、と思っていると、ぽっかり空間のあいた再奥部に到達。ここが、ついに母の胎内(子宮)。富士山の祭神「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)」さまの像が飾られ、他にはなにもない世界。印象に残ったのは、静けさと、ほのかな温かさ。先ほどまでの息苦しさは不思議になくなり、しばらくここに抱かれていたいような気さえした。帰りの産道は、またさらに長く苦しく感じ、「父の胎内」を経由して出口まで、生まれてくることの大変さを疑似体験した感じだった。ようやく外界を見た解放感と、生ける命の世
界の輝きまで再確認できてしまう。つくづく昔の日本人の豊かな想像力と、自然界に神聖を見いだしながら自由な心で共生していたありように感嘆する。これこそ世界遺産として称えられる信仰の源泉なのだろう。
「河口湖フィールドセンター」では、胎内巡りのほかにも、ガイドウォークによる溶岩樹型群の探索もできる。富士山の生命力がそのまま伝わってくる森のなか、さまざまに異なる形の樹型が次々にあらわれる、見飽きることのないトレイルだ。

河口湖フィールドセンター
河口湖フィールドセンター
ぽっかりと口を開けた入口から天を望む
ぽっかりと口を開けた入口から天を望む
センター周辺の溶岩樹型群を探索できる
センター周辺の溶岩樹型群を探索できる

桜の花のように美しい「コノハナサクヤヒメ」の伝説

ところで、船津胎内の入口にある「無戸室浅間神社」の“無戸室(ウツムロ)”は、富士山の女神さま「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の伝説に由来している。
遠い遠いむかし、日本神話の時代。あらゆる山を統括する神さま「オオヤマツミ」の娘に花のように美しい「コノハナサクヤヒメ」がいた。姫様は「アマテラスオオミカミ」の孫「ニニギノミコト」に見初められ結婚。一夜にして子を身ごもった姫様を夫は疑い、姫は身の潔白を証明するため、“戸の無い産屋”に入り火をかけ、その中で、三人の御子をみごと生みおとし、神の子であることを証明してみせたという。
火中でも出産できるコノハナサクヤヒメは火の神とされ、また山神である父をもつことから、日本一の火山である「富士山」のもとへ譲られたのだという。
またいっぽう、富士山本宮浅間大社の社伝では、「コノハナサクヤヒメ」は火を鎮める水の神として富士山に祀られたとされ、このことから、妻の守護神、安産の神、子育ての神とし、またその名にちなんで桜の木がご神木とされている。

富士講時代の石碑群
富士講時代の石碑群
入口にある苔むした石像にもぬくもりを感じる
入口にある苔むした石像にもぬくもりを感じる

無戸室神社の手前、色づく樹々に埋もれるように富士講の時代の石碑群があることに気がついた。苔むした石像は「コノハナサクヤヒメ」さまだろうか。 なんともぬくもりある形をしている。遥か昔に富士山にやってきた女神さまは、時を経て人々の心の中にすっかり慈しみの母として溶けこんでいったのだろう。
富士山の構成資産を巡っていると、こんなささやかな場所にさえ、自然と人とがともに長い歳月をかけ紡いできたことによる世界の豊かさが感じられた。
ちょうど春の五月はじめごろには、二つの胎内樹型の周辺は可憐なフジザクラに彩られるはずだ。こんな秋もよいし、また春も、富士山の母なる女神さまを身近に感じるにはもってこいの季節だと思う。

船津胎内樹型イラスト
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河口湖フィールドセンター(船津胎内樹型)
住 所:山梨県南都留郡富士河口湖町船津6603 TEL:0555-72-4331
拝 観 料:小・中学生…100円 高校生以上…200円
公開時間:月曜日(6~8月除く)・年末除く毎日 9:00AM~17:00PM
駐 車 場:大型6台、普通車10台(施設利用の場合「無料」)
http://www.mfi.or.jp/sizen/shizen.html

富士河口湖町生涯学習課
住 所:山梨県南都留郡富士河口湖町船津1754番地
TEL:0555-72-6053(直通)

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