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富士山巡礼の旅

河口浅間神社


河口浅間神社

河口浅間神社拝殿
河口浅間神社拝殿

千二百年、結界に守られてきた富士山信仰の原点にある古社

御坂峠といえば、その旧道は旧鎌倉街道にもあたり、太宰治が名著『富嶽百景』に“富士には月見草が良く似あう”と詠んだ彼の地。今も太宰が逗留した「天下茶屋」が残っている。
その御坂峠のふもとに神社は座し、今までは、山裾にひっそり身を 隠す古社という趣きだった。甲府、長野方面から峠を越えて、富士山や河口湖方面を目指す車の多くも、気づかずに通り過ぎていたかもしれない。
でもその昔、富士山を目指すなら誰もが必ずまず立ち寄り、手を合わせていった場所だった。御坂峠からの“天下第一”の富士の眺めを仰いだあと、人々はみな富士山に迎う前まず、この神社を目指したはずだ。
そんな尊き由緒にしては慎ましい佇まいのお社が、今年、富士山の世界文化遺産登録で、堂々と「構成資産」のひとつになった。ちなみに、富士山の世界遺産登録の正式名称は「富士山-─信仰の対象と芸術の源泉」である。

樹齢1200年と言われるご神木の「七本杉」
樹齢1200年と言われるご神木の「七本杉」
清浄な空気漂う神社境内
清浄な空気漂う神社境内
歩道が整備された旧御坂みち
歩道が整備された旧御坂みち

十年ほど前に初めて河口浅間神社を訪ずれたのは、お参りにためではなく、ある自然観察会の体験フィールドとして連れてこられた時だった。見事な杉の古木が立ち並ぶ参道へ一歩足を踏み入れると、ただならぬ空気。 天を突くように伸びる大樹の群は、境内奥手の林にまで広がり、その時はご神木の「七本杉」だという認識もなかった。そんな由緒を知らずとも、おのずと身の芯まで清まるような厳かな気配を感じたことを覚えている。 河口湖の賑わいの裏手にひっそりと、こんな奥深い世界が隠れているとは…。それからは、なんとなく心を静めたい時など、神社に立ち寄ることも多かった。
その神社が、富士山にゆかり深い神社だと、はっきり認識したのは、今年の年はじめ、河口地区内で古い神様の木像が見つかり、この神社に奉納されたというニュースが世間の注目を集めたからだ。木像は富士山の神様「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)」と見られた。今、思うと、世界遺産登録の吉兆のような出来事だったようにも思う。

御師の家のある集落越しに望む富士山
御師の家のある集落越しに望む富士山
暮れ色に映える河口湖畔
暮れ色に映える河口湖畔

かつて河口にもあった「御師の町」…
想い出の風景のなかで富士山の女神さまを見つけた

家々の庭に柿の実がたわわになる河口集落越しに、夕映えに染まる優しげな富士山がきれいに見えていた。のどかな集落の道をそぞろ歩きつつ、神社と地域に流れる遥かな時の記憶をさかのぼってみた。
時は、貞観の6年(864年)、当時まだ活発な火山活動を続けていた富士山は、歴史に残る大噴火を起こす。怒りの静まらない荒ぶる富士山の神さまをなだめるため、それまで駿河国(静岡県)側にしかなかった富士山を信仰する「浅間神社」を、甲斐国(山梨県)側にも建てるべきという勅令により、富士山の真正面に対峙する、ここ“河口の地”に建立されたという。だとすれば、河口浅間神社は、富士山と甲斐の国との絆が歴史的にしっかり結ばれるきっかけになった神社ともいえないだろうか。

神社前の御坂みちを挟んで対面にある梅谷家
神社前の御坂みちを挟んで対面にある梅谷家

さて、その後、火山活動がおさまると、富士山は仰ぎ見て拝む“自然崇拝”のお山から、登って山中で修行する“修験道”の山へ。さらに時代が進むにつれ、富士山頂には“仏さまの世界”があると信じられ、極楽浄土を求める人々が富士山に列をなすようになる。庶民による“富士信仰”が広まり、「富士講」の隆盛を迎えることになる。
そのころ、この河口浅間神社を中心に富士信仰の拠点のひとつとして「河口御師の町」が形成されていた。吉田口御師が江戸方面からの登拝者を受け入れてたのに対し、河口御師は、長野、山梨、埼玉方面からの登拝者が多く、16 世紀頃までは吉田口に勝る繁栄ぶりだったという。最盛期には140軒もの宿坊が立ち並んだ、その町並みも、今は十分な史料さえ残されていない。それだけに神秘的にも思え、ぜひとも往時の面影の断片をこの目で見つけてみたかった。
ところがそれは、拍子抜けするくらい簡単に見つかった。神社の正面に、 今も一軒だけ残る御師の家「梅谷」があった。河口12坊の一つで、安永5年(1776年)に建てられたものという。今までなぜ気がつかなかったのだろう。なぜか、河口の神様周辺はぜんたい、ひっそりとした印象があった。同時に、そうやって守られてもきた何かも感じられた。集落のわき道には、今の風景に溶けこんだ小さな祠もいくつか見つけた。

江戸後期、吉田口の富士講の隆盛に押され、河口御師の町が衰退していったあとも、富士山に由緒あるこの神社は、河口の人々によって集落の氏神さまとして親しまれ、これまで長く大事に守られてきていた。神社の素朴にしてふところ深い印象は、河口という土地の奥底に今も脈々と受け継がれる精神性そのものかもしれない。
河口の御師の家「梅谷」の表部分は自由に見学できる史料展示室になっていた。そこで、ちょっと素敵なお土産を入手した。富士講の時代に登拝者のお守りとして御師から配られた「富士山牛玉」と呼ばれる絵札だ。富士山の両側に月と太陽、そして木花開耶姫さまのお姿が描かれている。もとは江戸末期に木版画で刷られた、ちゃんと当時の本物だ。巡礼者にとっては憧れの女神さま。ほっこり嬉しくなるような、この土地らしいお土産だった。ちなみにこの日は展示室は無人だったけれど、料金箱がありワンコインで絵札は入手できた。

母の白滝
母の白滝
木花咲耶姫命の母君が祀られている
木花咲耶姫命の母君が祀られている

木花開耶姫の義母さんの神様が身も心も清めてくれる
富士登拝のミソギの場でもあった「母の白滝」

河口浅間神社の境内で出会った親切な地元の方が「太陽が天頂から西にかたむきはじめ、その光が木立をぬって、ちょうど真正面から滝に当たる時間帯。わずかな時だけ、漆黒の岩肌を流れ落ちる純白の滝がきらきらとまぶしく輝いて、虹がかかるのが見られるという。それは、龍のお姿となって河口湖にお出かけしていた“母神さま”が滝に帰ってくる時間なのだ」と、そんな神さまを身近に感じるような逸話を教えてくれた。
母の貫禄と美しさをあわせもったようなすばらしい滝も、やはり、ひっそりと隠れた場所にある。河口浅間神社のわき道から通じる「三ツ峠登山道」の入口あたり、清冽な水のエネルギーをあたりいっぱいにあふれさせている。
母の白滝は、富士山の神さま「木花開耶姫」の“姑”神さまがまつられている滝。河口御師の町が栄えていた頃には、村に宿泊する富士山への巡礼者が、登拝前この滝で禊ぎをしていった。真夏でも涼やかなエアーポケットのような穴場であり、真冬には滝が真っ白に氷結し、人間にはとても造り出せないような美しい氷壁となる。

母の白滝から神社に戻ってみると、ちょうど鳥居の真んなかに太陽が落ちて行くところだった。神社も森の境内も夕陽で茜色に照り映えて、昼間に見るより神々しく輝いて見えた。かつての本殿は富士山に対峙して、もっと山手側にあったそうだが、現在の神社は、母の白滝とともに、西方の極楽浄土を向いている。

鳥居の正面に沈む夕陽
鳥居の正面に沈む夕陽
河口浅間神社イラスト
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河口浅間神社
住 所:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
TEL:0555-76-7186
駐 車 場:専用駐車場有り(バス10台・普通40台)無料

富士河口湖町生涯学習課
住 所:山梨県南都留郡富士河口湖町船津1754番地
TEL:0555-72-6053(直通)

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